郊外のしごと

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Interview
vol.

家業を時代に乗せる木工職人

家業を時代に乗せる木工職人

細田真之介

祖父と父に続き職人の道へ

細田さんが3代目となる細田木工所は、戦後、お祖父様が創業した建具店がはじまりです。初代が社長として経営をしながら司令塔を務め、そして2代目で一級建築士でもあるお父様が職人として現場を守っています。そんな環境の中で細田さんが家具職人の道を歩み始めたきっかけは、ある純粋な感動でした。

「高校生の時、父が部屋に2段ベッドを作ってくれたんですが、それをそばで見ていて、『あ、いいなあ。これは面白いなあ』と思ったんです」

それからの細田さんは、プロの道も考えていたというサッカー部を辞め、お父さんの手伝いをはじめます。とはいえ、当初は建築分野の大企業に勤めようと考え大学へ進学した細田さん。しかし、ある時目にした光景がその後の進路を大きく転換させました。

細田木工所は東久留米駅から歩いて15分ほどの場所にあります。

「ある企業のオフィスで、暗い中パソコンを前に作業している光景を見て、自分がそこに加わるイメージが全然湧かなかったんです。当時は周りの流れ的な恐怖もあって、『一流企業に!』と思っていました。でも、たぶん親も、大学で修行してくれば継ぐだろうというレールを持っていたんでしょうね(笑)結局、就職活動は一回もしませんでした」

家具職人としての経験を重ね続けた細田さん。腕を磨きながら、スピードや仕上がりの美しさで勝負していく毎日を過ごします。

製作したオリジナルプロダクトの壁掛け型棚プラス。ECサイトでの販売に加え、大手企業と商品化に向けた交渉を進めています。

受注とは異なるしごとを生み出す

職人歴が5、6年目を迎えると、設計図を受け取って始まるしごとにマンネリ感を抱き、「自分で何かを生み出したい」という思いがふつふつと湧いてきたと言います。職人としての自分ではエネルギーをぶつけるところがないと感じ、それなら世の中の課題を解決する商品を新しく作ろうと思い立ちました。

「日本の狭小住宅で活きるものをと考え、棚プラスという棚や机が格納された引戸を開発し特許を取得しました。家具の展示会に出品しようと思ったのですが、リーフレット一つ作るにしても、木工所には広報手段が何もなかったんです。そこで、自分と同じようにしごとに“歓喜”を求めている大学の友人などを探して、若手クリエイターの集団を結成しました。会社から一個外れたところで、自由なしごとをしていけるといいなと」

コワーキングスペースでワークショップをしたり、近隣で開催されている創業スクールと連携したり、コミュニティの場としても使いたいと考えているそう。

オリジナルプロダクトを作り、仲間とともに活動する楽しさを感じていた細田さんですが、自分がいずれ家業を継ぐ3代目であることを意識すると、次第に家業に対するある思いが芽生えていました。
50年以上続く木工所がこれまで続けてきた経営スタイルは、まず注文が届き、指定された場所に家具の設計・施工・取付をするというもの。しかし、時代が移り変わるにつれて大手企業の参入や既製品の存在に脅かされ、安定していた受注が少しずつ減っている現実がありました。「このままではいけない」。いずれ自分が3代目として家業を継ぐことを見据えると、細田さんは日に日にその気持ちを強くしていきます。

「木工所の3代目として地元にいることを考えたとき、受注を待つばかりではなくて、家具も含め、借り手がDIYで暮らしをつくる賃貸住宅や、空き家を活用したコワーキングスペースの運営にチャレンジしたいと思うようになったんです」

細田木工所が根を下ろしてきた東久留米は、多摩地域の東部に位置する西武池袋線の通る市。近隣の多くの市と同じく、戦後の発展や高度経済成長にともなって大型団地が整備されてきた住宅地としての一面が強いまちです。「ベットタウンにコンテンツを作りたい」と考え、起業やまちづくりのプログラムに参加するなど、事業計画を立てて具体的な行動をはじめました。

「子供の頃から工場と同じ敷地に住んでいて、いつも家具の話が飛び交っていました」と細田さん。

家業を築き上げてきた先代とのギャップ

細田木工所の将来を描く計画は日に日に進んでいますが、実は今のところ、木工所とは切り離してあくまでも細田さん自身の個人事業として行っています。

「祖父と父は、工場にいて家具を作ることがしごとだと考えているので、僕が考えていることを十分に理解してもらうことも難しかった。新しいプロダクトを作るときにも、やっぱり反感を買ってしまって。自分的には本気でやってるにも関わらず、なぜか遊んでると思われちゃうんですよね」

価値観のギャップはどうやっても埋まらないと感じ、細田さんがまず選んだのが個人事業としてのスタートでした。

「会社を改善しようと思って動くと、恐らく時間もエネルギーもかかりすぎる。であれば、今までの会社は一旦残しながら、まずは自分が外でやって、シナジー効果を生めるようなことをできたらと思いました」

そして、建具屋を始めた祖父と建築士の父親、家具作りの力をすべて活かし、部屋や建物全体のDIYを手がけてまちづくりに関わっていく方法の模索を続けている間に、風向きも少しずつ変わってきたと言います。

「棚プラスを作りはじめた時には全然よく思っていなかった父に、この間まちづくり会社の話をしたんです。そうしたら、『それができたらいいよな』と言ってました。可能性が見えると先代も文句言えなくなるというのは、やっぱりあると思います。息子としては複雑な気持ちですが、年齢や体調のせいもあってか、お父さんが丸くなっているというのも感じます。おじいちゃんはまだ、全部は知らないですけど(笑)」

奥様と一緒に。3人のお子さんを持つお父さんでもあります。

東久留米にコンテンツを

「正直、木工所はどうでもいいやと思ったこともありました。けど、せっかく3代目で生まれて、東久留米に根ざしてきているルーツを考えると、そこと繋げてまちづくりをやるべきだなと。自分でも不思議なんですけど、ずっとまちに興味があって。東久留米愛というか(笑)」

あちらこちらへと迷走しながらも、パズルを合わせる感覚で動いてるという細田さん。その心の中でなぜがずっと消えないのは、「俺がやんなきゃダメなんじゃないかっていう変な使命感」だと言います。

「何より僕自身が、お金のためにはたらいていても、“歓喜がないと続かない”ということをすごく思っているんですが、世の中がそれを実現できるように変わろうとしている中で、東久留米は周りに比べてその点少し遅れているように感じているんです。3代目であることを考えると、両方やっていくのは結構難しい。でもやっていきたいと思っています」

今まず実現させたいのは、DIY賃貸と場の運営を展開する上で基盤となるまちづくり会社の設立。練り上げた事業計画を携え、近隣で親和性の高い事業を行う人のもとを訪ねるなど、日々奔走しています。

「やりたいこと自体は固まってビジネスプランにも落とし込めてきたので、“経営者”にならなければいけない段階なんですが、どうしても思いが先行して概念の部分ばかり考えてしまうので、前に進めないのが今の悩みです」

はたらき方や暮らし方を見直し、自分らしく変えていこうとする時代の風潮を感じながら、自らが根を張り日々過ごす東久留米を、今まさに自分たちの手で変えていこうとしています。(國廣)




細田真之介
1990年生まれ。東久留米で昭和42年から続く細田木工所の3代目、家具職人。東久留米を拠点としたまちづくり会社の立ち上げ準備を進めている。+遊び心を念頭に置いた1990年代生まれの若手クリエイター集団SOF(ソフ)代表。

本記事は、Enjoy neighborhood!「ウェブメディア リンジン」で2019年2月21日に公開したものです。

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